理想の会社を求めて…


「やってやろうじゃないか」

satokuroこの一言で、私(佐藤哲夫/現サト・テクノ・ミュージック代表)は30年間勤務した 楽器メーカーを平成11年7月31日に退職し我が道を行く決意を固めたのでした。
前職では“取締役技術部長”として会社の経営にも関わっていたものの、 一方で“楽器職人”としての生き方を貫きたいという思いも強かった。
「技術という名の五線譜の上を歩き続けて行こう」
と言ったら格好つけすぎかもしれませんが、 そんな気持ちだったことは事実なのです。

ならば。前職で身に付けた楽器修理の技術と経営の経験を生かして、自分が理想としてきた会社を、 自分たちの手で作ろうじゃないかと考えました。
幸い、従来のお取引先からの支援も期待できる環境にあったことも新たな船出の大きな力となりました。 そして平成11年10月1日、「株式会社サト・テクノ・ミュージック」設立登記。 こうして私たちの長い旅は始まったのです。

技術に目覚めた名工・カレとの出会い

前の会社には、私の師匠(オーボエの故鈴木清三氏)の紹介で入りました。 以来、今日までずっと技術畑一筋です。といっても、ほとんど独学で覚えましたね。 今も印象に残っているのは技術課長のときフランスの工場を見学しに行ったことです。

そこにはロベール・カレという工場長がいて、ランスローと共同でビュッフェ・クランポンの クラリネットを完成させた名工なんですね(ちなみに『RC』モデルはカレのイニシャルからとられているんですよ) この工場長との出会いが、私の現在の基礎になっているといっても過言ではないでしょう。

というのも、フランスに行く前、何を見学してきたらいいのかわからず私の師匠(Ob)に相談したんですね。 そうしたら「B♭の音はどのメーカーも下が高くて上が低いが、クランポンはそこだけ良い。その理由を聞いてこい」と。 そこでカレに質問したら「音孔の位置と大きさだ」教えてくれましてね。 帰国して、いろんな楽器を修理するなかで、たとえば音色や音程調整をするとき カレが教えてくれたことがとても役立ったわけです。時間の都合でたった一度だけ、 しかもほんの数分間しか会えなかったんですが、それでもすごく勉強になりましたね。

あの出会いがなかったら、今の私はなかったかもしれません。 そういう経験をしたからこそ、お客様との出会いをいつまでも大切にしたいと、そう思っているんです。

スタッフ紹介「佐藤哲夫」